大人になるとは
今日は成人の日。
ネット上で「大人とは」について、何人かが文章を書かれていた。
石田ゆり子さんは、インスタグラムで
「大人」とは、自分の言動に責任が取れる人。ひとのせいにしない人。
責任があるからこその自由。
今日という1日を
ご機嫌ですごすか
不機嫌で過ごすか
その選択も自分にかかっているんです。
誰かにやらされてるわけではなく
自分で選んでることを自覚する。
と書かれていた。
カツセマサヒコさんはエッセイで、
オトナになる、ということは、インプットよりアウトプットが求められる世界に行く、ということだと思う。
その世界は自由で、その分責任が付き纏って、ときには窮屈で退屈な思いをさせるし、力及ばず挫折を強いてくることもある。でも、きっとそれらを加味しても、「自分で生きていく」という実感を得られることは、それこそRPGの主人公にでもなったかのように、ワクワクに満ちていると僕は思う。
オトナって楽しいぞ。
と書かれていた。
私はもう成人になって10数年経つが、大人であることにまだ時々戸惑い、心細くなる。
決められずに迷うことがあり、誰かに責任をとってもらいたくなることもある。
けれど、もうそれは誰もしてくれない。
石田ゆり子さんもカツセマサヒコさんも、
自分を機嫌よく楽しくさせることや、どんなアウトプットを出して、どんな日常、どんな人生にしていくかは、自分自身の責任であり、それは厳しいことでもあるけれど、人生の主体と責任を自分で引き受けることができたら、楽しいぞ、
と言っていると思う。
私も、楽しいぞ、機嫌いいぞ、と言える日々を、責任を持って選んでいきたい。